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『百レボ3』発売記念メッセージ

『百姓レボリューション3』発売記念メッセージ

なぜ、『百姓レボリューション』シリーズを書こうと思ったのか?

もともとは前作である『天上のシンフォニー』という小説の続編として書こうと思ったんです。読者からの要望もありましたからね。『天上のシンフォニー』は2012年12月22日に南極で終わるので、南極を舞台に2012年12月22日以降の物語を書こうと思ったんです。

ところが、書きはじめてみると、南極の描写がものすごく難しいことに気づいたんです。南極の氷が解けたために多くの人が移住したんですが、氷のない南極というのは誰も見たことがなく、そこにどんな植物が生えていて、どんな動物が住んでいるかわからないわけですよ。完全にSFの世界になっちゃって、ちょっと自分には手に負えないと正直思ったんです。SFは一番難しいですからね。

それに『天上のシンフォニー』を書いた時と、僕自身が大きく変化していて、続編ということにあまりこだわりたくもなかった。『天上のシンフォニー』は1997年~2006年にかけて何十回も書きなおしをして仕上げた作品ですが、大まかな部分は1997年に書いています。続編を書きはじめた2010年の13年前です。13年も経ったらそりゃ人間少しは変わりますよ。(笑)

正直言って南極の物語に対する情熱が感じられなかった。それよりも今書きたいものを書こうということで、改めて白紙状態から構想を練ったんです。2012年12月22日以降の社会を描くというアイデアは面白かったので残しました。この時、なぜか『荒野の7人』という映画のことを思い出したんです。これはさすらいのガンマンたちが農民たちを盗賊から守る物語で、黒沢明の『7人の侍』が元になっているんですが、物語の最後で、ガンマンたちをヒーロー視している農民の少年に、ガンマンの一人が言うんです。「本当に勇気があるのはおまえのおやじさんたちだ。この地にしっかり足をつけて家族を守るために一生懸命働いている。勇気がないのは俺たちだ。俺たちはそうした勇気がないから、一ヶ所に長くいられず、あてもなくさすらいの人生を続けているんだよ」

天上のシンフォニー』は旅がテーマで、旅人が主人公です。実際のところ、主人公はツアーガイドで、他の登場人物と読者を壮大な冒険旅行に連れていくわけです。旅はとても重要なもので、旅を通して多くの発見や出会いがあり、視野が広がっていきます。特に地球の他の地域を旅することで、価値観の枠が広がり、地球意識というものに目覚めていく。

今までの段階ではそれでよかった。

ただ、次は、また別のプロセスが必要ではないのか。旅で培ったその新たな視点を、今度は自身の成長だけでなく、社会そのものを進化させるために活かすべきだと。

一度戻ろう。自分が生まれ育った地に。日本だ。遠く離れた南極ではなく、すぐ目の前にある日本を舞台にしよう。そして、主人公は百姓。一ヶ所に留まり、大地に足をつけて生きる。新しい社会を創るためには、そういう人物が必要です。

グローバルからローカルへ。

冒険から創造へ。

一瞬のひらめきですね。いつもそうなんですが。その瞬間、百姓という言葉が体を占領してとても興奮してきたんです。「百姓万歳! 百姓万歳! 百姓万歳!」気がついてみたらそう叫んでいました。(笑)

2007年から2009年まで、僕はエコビレッジ自然農などに興味を持ち、丸ヶ崎自然農の会という所に2年間通って自然農の勉強をしていました。そうした世界が小説のモチーフになっていったのも自然な流れです。

小説を書く上で重要なのは自分の知っている世界を書くことですね。無理して知らない世界を書いてもうまくいかない。森村誠一は長年ホテルマンとして働いてきたので最初の作品はホテルを舞台に書いていますね。村上春樹だってバーテンの経験を活かして、やたらお酒の描写が多い。

好きな作家、影響された作家というのは?

僕はもともと文学青年でも何でもなく、小説はほとんど読んだことがなかったんです。30歳になってからある日突然小説を書きたいと思ったんですが、きっかけとなる出来事があります。当時僕は阿佐ヶ谷でアパート暮らしをしていてラジオのJ WAVEをよく聴いていたんです。たまたま村上春樹の『国境の南 太陽の西』という本のコマーシャルが流れたんですが、それが非常によくできたコマーシャルで、読みたくなるような余韻を残して終わるんですよ。それでつい読みたくなってしまって、近くの貸本屋に行ったんです。阿佐ヶ谷っていうのは貸本屋や古本屋が結構たくさんあるんですね。実は小説家や漫画家の卵が多く住んでいる町なんです。そういえば、『百レボ』に登場する新村徹も阿佐ヶ谷に住んでいて、小説家の卵だったことが発覚するんですよね。僕自身は小説家目指してますなんて人たちとの交流は一切なかったですけど。(笑)まあ、とにかくその貸本屋に行ったら、『国境の南 太陽の西』というのがあったんです。すぐ借りて読みました。うわー、なんだこれ。読み始めたら止まらなくて、ウイスキー片手に2日ぐらいかけて読んでしまいました。なぜかウイスキーが飲みたくなる話なんです。まるで初めてディズニーランドに行った時のような興奮状態で、小説ってこんなに面白いものだったのかと感動したんです。今まで体験したことのなかった新しい娯楽を知ったって感じでした。あまりにも衝撃的だったから、この楽しさを読者に提供したい。自分も小説を書きたいと思ったんです。

2週間後には書きはじめていました。三ヶ月ぐらい気が狂ったように書いて、『味噌汁ロマンス』という作品を完成させました。1993年のことですね。

ですから影響された作家ということならば、もちろん村上春樹を挙げなければならない。

ただ、他にもいろいろ読んだので、多くの作家から学びましたね。それまでの時を取り戻すかのように、片っぱしから読んでいきました。村上龍、椎名誠、吉本バナナ、大江健三郎、三島由紀夫、北方謙三など、1993年だけで何冊読んだかわからない。当時僕はテレビドラマのエキストラのアルバイトをしていたんですが、なんでそれやってたかというと、待ち時間が非常に多かったから。その間ずっと読んでいられるじゃないですか。

いろんな作家を読んだ後でも村上春樹が一番好きでしたね。『羊をめぐる冒険』『ダンス ダンス ダンス』が中でもお気に入りです。ところが、『国境の南 太陽の西』を10年以上経って読んでみたんですけど、全然たいしたことなかった。(笑)あの時の感動はどこへ行ったのかって感じですね。

当時、村上春樹が好きなんて言うと、結構馬鹿にされたんですよ。いわゆる小説家の卵連中からはね。メジャーということが彼らの中ではダメなんですね。大江健三郎(当時は大江さんもまだノーベル賞もとってなかったし)、橋本治、三島由紀夫とか言うと「しぶい」みたいな風潮があってね。でも、僕はそんなこと一切気にしなかった。そういう型にはまった考え方自体がクリエイティビティの逆にあると思っていたし、一般的な評価よりも、自分が読んで純粋にどう感じるかで決めればいいと思っていましたから。

続いて結構読んだのがシドニー・シェルダン。えっ? そう、こんなこと言ったらみんなから総スカンですよ。あんなの文学じゃないとかね。でも、そうした偏見を取りはらって読んでみると、純粋に面白い。エンターテインメントとは何かということを学びたければ、彼の作品はおすすめです。やっぱり徹底している。観客や読者を喜ばせるために何が重要かということを。彼はこういうメッセージを伝えたいから書くなんていうおせっかいなことはしないんですよ。如何に読者を楽しませるかということに百%エネルギーを注ぎ込んでプロットづくりをしている。これは映画の脚本に近いです。僕は当時小説こそ読んでいなかったけど映画は結構見ていて、映画の脚本なんかには興味がありました。物語の構成という部分でシドニー・シェルダンは勉強になりましたね。

海外の作家で多く読んだのはいわゆるエンターテインメント作家ですね。そういう意味では純文学よりもエンターテインメント小説の影響のほうが強いと思います。

天上のシンフォニー』や『百姓レボリューション』にはメッセージ性があるが。

そうですね。ありすぎるのかもしれない。(笑)こういうの、"プロパガンダ"っていうんです。もちろん、僕が小説を書く一番の動機は伝えたいことがあるから。

でも、だからこそ逆に、手法はエンターテインメントにこりたいというのがあるのかもしれませんね。特に『天上のシンフォニー』はそうしました。『百姓レボリューション』は何だか自分でもよくわからないですね。純文学でもなければエンターテインメントでもない。

僕の中ではジャンルはどうでもいいんです。そういうことにとらわれずに自由に書きたいと思って書いていますね。まあ、基本、僕の場合、ほとんどそうなんですが。下手に文学青年でなかったぶん、その辺の既成概念というものはないですね。

小野寺隆は自分自身なのか?

これはよく訊かれることなんですが、そんなことないです。若き日の小野寺隆、つまりハックルベリー・フィンは僕自身ですね。僕も大学に行かずに、イギリスで暮らしていました。サセックス大学に出入りして勝手に図書館を使ったり、芝生に座りこんで他の学生たちと話したり、学生食堂でランチを食べたりしていました。スクォッティングもやりましたね。

大学に行かずに自分で勉強するとか、セラピーも特に誰からも学ばずにやってしまうという性格は、考えてみると、自分に近いですね。だから、小説もそんな感じで自己流で書いているのかもしれません。(笑)

ただ、帰国後の僕はどちらかというと新村ケンに近かったです。これも100%同じではないんですが。僕は翻訳なんてできないですからね。小野寺隆は、帰国後もああなっていたらよかったなと、2010年の時点で感じていたキャラクターです。

今思うと、新村ケンは新村ケンで重要なんですね。ケンの人生も決して嫌いではないです。その辺が『百レボ3』に出てくると思いますが。

実は、このスタンスはとても重要なんです。複数の登場人物の視点で書いていることのポイントでもありますね。『百姓レボリューション』を評価する人の多くは小野寺隆に引かれると思うんです。でも、もし小野寺隆がメインの主人公になり、彼の視点だけで書いたら、それこそ"プロパガンダ"になってしまうんです。さっきは冗談で"プロパガンダ"だと言いましたが、小説は"プロパガンダ"になってはいけないと思っています。いや、いけないってことはないですけどね。そうしたければそうすればいい。ただ、僕はそうしたくない。読者に考える余地を残したいし、そういう意味でも複数の視点が交わる中、読者がああだこうだいろいろ考えるものがいい。ある人は新村ケンに共感し、ある人は小野寺隆。別の人は長嶋達郎という感じで。

メッセージはあってないようなもの

もちろんメッセージはありますが、それはひとつだけでなく、最終的にどう考えるかは読者次第だということです。それが小説の醍醐味です。ノンフィクションとして書く場合はどうしてもこのメッセージの部分が強く出てしまうと思うんです。でもフィクションの場合、あくまでもそれは登場人物の考え方であって、イコール著者の考えではない。小野寺隆は登場人物の一人であってすべてではないんです。

書くのが難しかった登場人物は

長嶋達郎は難しかったですね。新村ケンや小野寺隆は自分自身の分身的な側面があったんですが、長嶋にはそういうのはなかった。昔NLPをやっていたというのはそうですが。あと滋賀弁。これが一番難しかった。もちろん滋賀に来て3年経ち、滋賀弁にも慣れてきたんですが、やっぱり自分が話せないから、書きながら感情移入しにくいというのはありましたね。

『百姓レボリューション3』の読みどころは

ネタバレになってしまうんで中身についてはあんまり語りたくないんですが、まあ、ひとつは三部作の完結編ということで、今までの謎がすべて解明されますね。例えば基地のこと。政府の生き残りの人たちが基地に避難していたわけですが、彼らの目的とその後について。日本という国は消滅し、無政府状態になりましたが、周辺諸国の動きというのは今まで特に出てきていません。その辺も出てきます。原発も地震の前に何者かによってすべて止められたということになっていますが、誰が何の目的で止めたかも明らかになります。

ちなみに、物語では原発事故が起きていませんが、これは事故が起きる前に書いているからです。2010年の時点で想像した未来について書いていて、2も3もその続きなので、そこは統一しています。パラレルワールドという考え方もありますが、もしかしたら2010年の時点では別の方向に進む世界があって、小説に描かれている世界は、今僕らが住んでいる世界とは別に、どこかに同時進行で存在しているのかもしれないですね。

あと、今回も新たな登場人物が加わります。2では長嶋達郎が新たな登場人物として加わりましたが、今度は早乙女優香。彼女も蒲生の輪に住んでいて、何と僕が今住んでいる熊野に住んでいるんです。彼女には注目ですね。

もともと『天上のシンフォニー』の続編として書きはじめたと言いましたが、3には『天シン』と関連することも出てきます。ある同胞団とかね。ですから『天シン』読者が楽しめる要素もいろいろあります。

『百姓レボリューション』は最初からシリーズにして書く予定でいたので、『百レボ1』ではすべてを表現していません。『百レボ2』でもそうです。本当は『百レボ2』で取り上げたテーマを1冊に全部盛り込もうとしたんですが(僕の中でそうしたどんでん返しはよくあることなので)、それではあまりにも急すぎて読者を混乱させてしまうのではないかと思いました。それで三部作の長編でじっくり描いていこうということになったのです。ですから『3』を読まないことには物語は完結しないわけで、『3』を読むことで『2』がより理解でき、『1』ももっと深く味わえることになります。

安曇野、祭り、縄文、キャニオン・デ・シェー、オーム・ナマ・シヴァーヤなど新たなキーワードもたくさん出てきます。

もちろん、小野寺隆も長嶋達郎も活躍します。

そして、語り部は新村ケン。

『百姓レボリューション3』

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